ケニアのガリッサ郡で、1歳の息子を抱き上げる母。気候変動の影響で「アフリカの角」と呼ばれる地域一帯は数年連続で雨季に恵まれず、大規模な干ばつに見舞われました。干ばつによる水不足や食糧難に加え、新型コロナウイルス感染症の流行なども重なる困難な状況のなか、息子が無事に1歳を迎えられた喜びを、母親のカハさんはかみしめています。
©UNICEF/UN0641754/Orina
巻頭言
ユニセフが日本の子どもたちを支援していた1950年代。日本の乳幼児死亡率は、急速に改善されてはいたものの、諸外国に大きく後れを取っており、1954年の全国平均値は現在の世界ワースト25に入るほど高いものでした。
交通や通信はおろか、医療もまだ普及途上だった当時、地方の農村部が、赤ちゃんや妊産婦に非常に厳しい状況であったことは想像に難くありません。にもかかわらず、日本で初めて「乳幼児死亡ゼロ」を達成したのは、冬になると深い雪で外界から閉ざされることもあった東北の小村でした。
岩手県のホームページによると、1950年代初頭、岩手県中西部、奥羽山脈に位置する沢内村(現在の西和賀郡の一部)は、全県で進められていた「乳児死亡半減運動」に参加。乳児健診や保健師の巡回をスタートさせます。そして、医師による妊産婦健診や看護師の養成に続き、出張診療、巡回健診、診療所の新設、出産費用の助成など、様々な施策も展開。1962年、乳児死亡ゼロを達成しています。
60年を経た今、乳児死亡が日本の問題として語られることはほとんどありません。しかし日々生まれる命は、どんなに医療が発達しても、ほんのわずかな環境の変化で失われかねない脆弱な存在です。その命を支えているのは、決して「あたりまえ」ではない、乳幼児と妊産婦の保健支援に関わる多くの方々の不断の努力、そして、子どもたちを取り巻く、保護者とこの社会を構成する私たち一人ひとりの知識と意識です。
今年発表されたユニセフによる『世界子供白書』は、子どもの命と健康を守る定期予防接種の接種率の伸びが鈍化しており、その背景に、世界中で、予防接種を忌避・軽視する傾向が広がっていることがあると訴えました。コロナ禍前、日本でも、麻疹(はしか)の流行が懸念され、成人を含めたワクチン接種が呼びかけられていたのは、記憶に新しいところです。
来月1日からの1週間は、「世界母乳育児週間」。母乳には、ワクチンと同様に、赤ちゃんの免疫機能を助ける働きがあります。本号では、赤ちゃんの命を守る「あたりまえ」ではない「あたりまえ」を支える活動をご紹介します。
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2023.7.1
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編集後記
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この春、小弟の身近で赤ちゃんが生まれました。それも、2人続けて。
「予定日どおりかな?」。生まれるまでの間、私の頭に過ったのは、それぐらいでした。
しかし今回、本号をまとめるなかで、赤ちゃんが生まれることがどれだけ奇跡的なことか、どれだけの努力がこの奇跡を支えているのか、あらためて気付かされました。
先号で特集した教育と同様、コロナ禍で世界的に大きく後退した子どもの命を守る母子保健活動。
5月の広島サミットでは、G7も協力してこの古くて新しい課題に取り組むことが確認されました。
とは言え、政治だけで世の中が変わるわけではありません。巻頭の繰り返しになりますが、「私たち一人ひとりの知識と意識」を高めることが肝要です。
この春の個人的経験を振り返れば、特に、「生まない性」の立場にある私のような者こそ…ということかもしれませんね。
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