vol.275 2022 autumn

すべての子どもに必要だと思うことは、
「可能性が妨げられることのない未来」です。

平林国彦 (プロフィールはこちら)

国際機関日本アセアンセンター事務総長

各界で活躍されている方に「子ども時代」を振り返っていただきながら、世界中のすべての子ども、一人ひとりの子どもたちにとって必要なことは何かを考えていく連載企画「for every child,_」。第22回は、元ユニセフ東京事務所代表で、現在は国際機関日本アセアンセンターの事務総長を務める平林国彦さん。子どもの心疾患専門の心臓外科医として活躍したのち、途上国の病院などで技術指導に従事し、2003年から18年以上ユニセフ職員として中東、アジア・太平洋地域で活動。職業や立場を変えながらも、一貫して子どもを守ることに注力してきた平林さんからの未来へ向けたメッセージです。

私の子ども時代は非常に自由で、親から「勉強しろ」などと言われたこともなく、その代わり、信頼されていたという印象があります。私は友達が多く、全く人見知りをしない子で、授業参観があるといかに親たちを笑わせるかを考えたりして、自分の親には「余計なことを言いすぎるな」と言われるくらい自由にやっていました。学校の先生も寛容で、特に小学校高学年の担任は自由に発言させてくれて、問題に直面した時も自分たちで考える機会を作ってくれました。そして、同じ志を持った仲間が集まれば大きなことを成し遂げられると教わりました。その教えは今でも自分の指針となっています。

アポロ11号を見てから宇宙に興味が湧いて、中学時代は天文学者になりたいと思っていた時期があり、天体望遠鏡を買うために新聞配達もやりました。ただ現実的な職業として考えた時、曽祖父が開業医だったので、家に残っていた昔の医学書や道具、曽祖父のノートを見て、自分も医師をやってみたいと思うようになりました。

心臓外科医になって子どもの心疾患を専門にしたのは、適切な処置をすれば子どもは劇的に良くなると知ったからです。大変な仕事でしたが得るものが多かったですし、失うべきではない命を救うという使命と責任感に満ち溢れ、やりがいがありました。そこから外科医を辞めて途上国支援を始めたのは、心臓の手術は1年に100人くらいしかできないけれど、途上国支援なら100万人を助けられると考えたからです。

正直に言うと、実際はそんなに簡単ではなく、逆にいばらの道だったとも思いますが、どんな道に進んでも自分の道しるべとなる志を持ち続け、たとえ立ち止まってもまた起き上がり、前に進み続けるしかないと思っています。

医師の頃からこれまで、様々な子どもと出会い、すべての子どもたちの可能性が妨げられることのない未来を我々が作っていかなければならないと強く感じています。5年や10年ではなく、もっと先を予測して、子どもたちに残したい未来をまず考え、それを実現するために今やるべきことを見出していく「バックキャスティング」という考え方が必要とされています。今後はアセアンと日本の人々、特に若者にとって必要な未来を作ることに残された人生の時間を捧げたいと思っています。

幼稚園の遠足(長野県、木崎湖)にて。平和で、国民の多くが豊かになり、将来は常に明るい、と多くの人たちが感じられていた時代でした。
(写真:本人提供)

Profile

ひらばやしくにひこ

1994年筑波大学で医学博士号を取得。国立国際医療センターで勤務後、インドネシア、キルギスなどでJICA専門家として勤務。2001年にWHO短期コンサルタントとしてベトナムに勤務。2003年より18年以上に亘りユニセフに勤務し、アフガニスタン、レバノン、東京事務所、インド事務所副代表を経て2010年に東京事務所代表に就任。2021年9月より、日本とアセアン諸国の懸け橋となる国際機関日本アセアンセンターの事務総長を務める。