ユニセフは、世界の人道・開発支援組織のなかでも最も早い時期から親善大使(Goodwill Ambassador)を活用。現在全世界で、約400の個人や団体が親善大使やアドボケート(提唱者)として無報酬で活動する。
今でこそ多くの皆さまに名前を知っていただいているユニセフですが、誕生からしばらくは、その存在すら認知されていない組織でした。設立当初から各方面に協力を募り、活動資金を自ら調達することが求められていたユニセフにとって、「知名度が低い」ことは大きな問題でした。しかし1953年のある日、この状況を変える大事件が大西洋上で起こります。
この日、ユニセフ事務局長モーリス・ペイトはロンドン発の便でニューヨークに向かいました。空港を飛び立って間もなく、搭乗した飛行機のエンジンが炎を噴きます。急遽アイルランドに向かうことになった機内。そこでペイト事務局長は、たまたま隣り合わせた世界的な俳優でエンターテイナーのダニー・ケイさんにユニセフの話をはじめました。「……それでだ、そんなユニセフが抱えている問題のひとつはその知名度なんだ。でもあなただったら助けられるかも知れない」
こんな偶然がきっかけで初代ユニセフ親善大使に任命されたダニー・ケイさん。早速、中国、インド、日本、韓国、タイなどアジアの現場を訪問し、その様子をまとめたドキュメンタリー映画『アサインメント』は世界で1億人を超える観客を動員します。その収益もユニセフに寄付されました。
その後の33年間、親善大使として世界中の現場を訪れ、きびしい状況に取り残された子どもたちの存在を国際社会に伝え続けたケイ大使。なかでも日本には、ユニセフの支援が終了した1964年以降も度々来日し、1970年の「ユニセフ万国博特別募金」はじめ、日本ユニセフ協会の募金活動や広報活動を応援するかたわら、全国の学校や福祉施設をおしのびで訪問。その姿は日本のエンターテイメント界の著名人にも影響を与えたと伝えられています。
ケイ大使の活躍に勇気づけられたユニセフは、エンターテインメント界から1968年に英国のアカデミー賞俳優ピーター・ユスティノフさんを、1984年には黒柳徹子さんを親善大使に任命します。戦後復興を果たし、経済大国となっていた日本。黒柳さんの就任は、支援国としてより大きな役割を日本に担ってほしいと願っていたユニセフから相談を受けた緒方貞子さん(当時ユニセフの執行理事会議長、後に国連難民高等弁務官や国際協力機構理事長を歴任)が、『窓際のトットちゃん』英語版を来日したジェームズ・グラント事務局長に渡したことがきっかけでした。
ケイ大使が亡くなった1987年以降は、世界的ヒット曲『バナナボート』の歌手ハリー・べラフォンテさん、『ガンジー』や『ジュラシック・パーク』などで知られる映画監督・俳優のリチャード・アッテンボローさん、翌1988年にはオードリー・ヘップバーンさんを相次いで親善大使に任命。さらに1991年には『007』ことロジャー・ムーアさん、世界的ミュージシャンのユッスー・ンドゥールさんも加わりました。
1990年代に入り、ユニセフの募金・広報・アドボカシー活動がより大きな形で、かつ、それぞれの国や地域に根差した形で進められるようになると、ユニセフは、先進各国のユニセフ協会(国内委員会)や現地事務所に独自の親善大使を積極的に任命するよう呼びかけます。日本ユニセフ協会も1998年に歌手のアグネス・チャンさんを、2007年に医師の故日野原重明さんを、そして2016年にはプロサッカー選手の長谷部誠さんを親善大使に任命(アグネス・チャンさんは2016年からユニセフ・アジア親善大使)。
現在、全世界で約400の個人や団体(*)が、親善大使やアドボケート(提唱者)として世界の子どもたちが直面する困難な状況を訴え、支援を呼びかけるために、無報酬でユニセフの活動に力を貸してくれています。
*…英国プロサッカーリーグのマンチェスター・ユナイテッドや、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団等
「子どもは、自分に関係のあることについて自由に自分の意見を表す権利をもっています。その意見は、子どもの発達に応じて、じゅうぶん考慮されなければなりません」。子どもの権利条約第12条で規定されている「子どもの意見表明権」と呼ばれる権利を、条約の推進役であるユニセフ自身が体現するため、また、近年、気候変動をはじめとするさまざまな課題に声を上げている世界中の子どもたちや若者たちを応援するため、ユニセフは2018年から毎年多様な背景を持つ世界の子どもや若者たちをユース・アドボケート(若き提唱者)に任命し、その活動をサポートしています。
※地図は参考のために記載したもので、国境の法的地位について何らかの立場を示すものではありません